四角い部屋のblog

未熟なパラレルワーカーが病気になって、休んだり悩んだり試行する

四角い部屋はここ

まず長い前ふり。

 

ずっと非公開で書いていたけど、

夜中のテンションのままの記事も含めて公開しようと思って

タイトルをちゃんとつけよう、と思った。

 

書くことのメインは、
なんだか病気になっちゃったよ、とかだけど

いかにも「闘病記」みたいなものはな…と。

それで、病気のこと以外で

もう窮屈だな…これ、変えたいな…次はどうしよっかな…

というものを表せる言葉を頭の中から探してみた。

 

たまたまなのだけど、最近見つけた

「四角い部屋」という言葉がぴったりだったので、採用。

でも、まるで私の言葉みたいに使うのは失礼な気がして、

ここに一つ、この言葉との出会いを書こうと思いました。

ーーー

 

好きな歌手は?と聞かれるといつも困ってしまう。

 

いろんなものを聞くし、

タイトルも分からないで保存してる曲がたくさんある。


友達、SNS、ストリーミング配信サービス、

ラジオ、ニコ動、映画、ライブ、

カフェ、お友達、カラオケ

色々な入り口から、気に入った音を保存している。


ずっと長い間CDを買い続けている歌手もいるし
思い出したかのようにライブ予定を調べて会いに行く歌手もいるし
実験音楽のようなライブも好きだし
キリキリした気持ちで電車に乗る時に絶対に聞く音楽もある

 

数年前に、平賀さち枝という歌手を知りました。

なんでだったかな。

きっとラジオで耳にして、ぐぐって、聞きに行ったのだと思う。

そして、平賀さち枝とホームカミングスという

コラボバンドがあることを知って、

おおー!すごくいい!と思ったのでした。

 

ただ、こういったコラボは長く続くケースはあまりなく

ある時からやっぱりしばらくリリースがなくて、

すっかり忘れかけてた。

 

それが、たまたま自宅療養中に再会。

家でひとり

昼も夜も、大きな窓をあけて音楽を流しているのが日常だった。

月曜日も、日曜日も同じ。

 

Spotifyで自動再生された、なんとなく懐かしい声、メロディーライン

なんだか平成の曲じゃないみたい。

川沿いを自転車で走りながら大声で歌いたいような、

そんな気持ちを起こさせてくれる、平賀さち枝とホームカミングス

 

気が付いたら泣いていて、もう一緒に歌いたくて仕方がない。

「なんだっけ…この人の声…」

スマホの画面を確認して、ため息がでた

「あぁ、かえってきたんだ…。」

療養中は涙もろい。

 

mikiki.tokyo.jp

 

そういうことで、

平賀さち枝とホームカミングスの『カントリーロード』という曲から

「四角い部屋」という言葉をもらいました。

 

きっとありきたりで、何気ない表現なんだけど

都会に引っ越してきて、病に、そして病以上の何かに負けた私が、

わたしという存在をもう一度求めるなら

この言葉の意味はきっともっと深い。

 

歌詞を一部だけ。

 

ーーー

 『カントリーロード』  平賀さち枝とホームカミングス

 

 思いつめれば朝 風走る五月

起き抜けの気分で四角い部屋を抜け出して

古いバスの窓に 春がひとしきり

不安げな瞳もこの青い空に吸い込まれ

(略)

潮風とその海がすべて君の味方をしたの

都会の街を背に

君よ カントリーロードまで

 

ーーー

 

ちなみに、この曲の次にはいってる曲

『ヴィレッジ ファーマシー』も

すごくよくて。

ほんと、続けて聞いたら本当に、

あぁ、こんな場所で悩んでたらもったいないな、外に出て風を受けなきゃ…

っていう気分になります。

 

療養中でナーバスモードはいった時にはぴったりです。

 

 

あと、平賀さち枝もやっぱり好きで、

これを機に色々と聞き返しているけれど、

『目黒川』という曲も、きっとナーバスモードにはちょうどいいなって思います。

 

歌詞も綺麗で、歌声が昔のテレビCMのよう(いい意味で)

耳からすっとそのまま胸にじんわり広がるよう。

これが療養にいいのかは分からないけれど、

”こういう気分”で、私は家におります。

 

 

昔のCMとか、ラジオCMって、聴覚にすごく訴えるものがあったなぁと思う。

今、テレビあまり見てないから、たわごとにすぎませんが…。

なんとなく、じわっとしみこむ感覚が伝わりますように。

 ーーー

 

もうすっかり、いつから、という感覚もなくなってきて

この先もずっと、本当は今までもずっと

こういう時の流れを求めていたんじゃないかって思えてきた。

 

三分おきにくる電車も

24時間おきにくる朝8時30分も

いつの間に、わたしのものみたいになってた。

それは全部わたしのものではなくて

誰かがどこかで重さを決めた1グラムの1円玉みたいなもの。

わたしがもっていてもいいし、誰がもっていてもいい。

 

もしかしたら、本当は、

気まぐれなお天気雨や

なんだっけ?というタイミングで発芽するパクチーの芽や

2回目の朝ごはんや

そういう時間の中で過ごすことを

わたしという人間は求めていたんじゃないかなって。

 

 おいて行かないで…って、いったい誰に言っているんだろう。

 

 

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