四角い部屋のblog

未熟なパラレルワーカーが病気になって、休んだり悩んだり試行する

弱音と

子供の頃から、少しみんなよりも劣っていた。

早く走れないし、長くも遊べない。

逆上がりは出来たことがない。

計算が苦手だった。

お友達を作るのも苦手だった。

 

酷いいじめにあっていたような事はない。

いつも、少しだけ、私は孤独だった。

 

心の中のモヤモヤを、人に伝えるべきか分からなかった。

 

先週両親が離婚して、昨日引越しをしたこと

兄弟の中で私だけ、父親が違ったこと

朝、目が覚めると体が痛くて起き上がれない日があること

何もかも、目に見える何もかもが信じられなくて突然涙が溢れること

 

そんなこと、誰に言えるのだろう

誰にだったら…

 

走れない体はそのまま中学生になった。

運動神経も悪かった。ボールが遠くに飛ばせない。

 

だから体育の時間はいつの時代でも、本当に居場所がないと感じていた。

準備運動のランニングで、もう私の体力は限界に近い。

…やめたい

楽しさなんて無かった。 

チームも私のせいで勝つことができない。

 

ラソン大会、喘息の子は欠席しても何も咎められない。

私は、数百メートルでもう顔が真っ赤な私は、それでも休んでいい許可は降りなかった。

 

走れない少女のまま、私も高校生になった。

同じく運動神経が悪く、走れなくて、いつも何かを考えていて、そして、少し孤独だった。

 

あの頃、どうして学校に行けていたのだろう。

友達がいたから、、

正直分からない。

とんでもない時間まで遅刻するような日もあった。

何日も休んだりもした。

 

そしていつか、私はもっと孤独をつくった。

 

その頃、私の体に病名を付けてくれる先生がいた。

甲状腺機能亢進症、だって。

私はこれで、これで無理やり走ったりしなくてもいいと思った。

だけど高校生なんて、そんな機会滅多にない(笑)

今さらだった。

 

その先生は中医学の先生で、

薬は生薬や煎じ薬しかでない。

とってもまずい。

 

それから、この病気は治らないし、

もっと違う病気に進むこともある。

ももこは、今までも頑張ってきたけど、これからはちゃんと薬を飲んで、その体と一緒に生きていくんだよ。

 

先生がそう言ったとき、

私は心の中で、治らないと思った…と呟いてた

 

思い返せば、いつも、

どうして私の体は動かないのだろう。

もしちゃんと動けば、もう少し努力できるんじゃないかな、私も…

そんなふうに思っていた。

 

膜に覆われたような感覚

小さく震えてる

私の手じゃないみたい

心臓の音だけがちゃんと聞こえる

うるさいくらいに

 

この体とずっと生きていくの?

…やめたい

 

 

そして今、先生が言い当てたように

私の体はつぎのステージに進んだ。

 

いつも、いつも怖かった。本当は。

大受験の時も、働き始めるときも、

いつこの体がまた動かなくなるか…。

 

今もとても怖い。

しばらく休んでもいいと言われても、反射的に想像よりも短く言ってしまう。

あの打ち合わも無理して出なくっていいんだからと言われても、いや私がお話し聞きたいですし…と返してしまう。

 

本当に怖いんだ。

置いて行かないでほしい…

私も、私ももっと努力したい…

 

また、1人きりでひっそりと過ごして

社会から取り残されて、

期待されていた分も達成できず、

腫れ物に触るかのように扱われるなんて。

 

 

でも少しは分かっている

ここでまた体からのサインを無視したら、それが本当に危ないってことも分かってる。

 

私の体、

無理が効かなくても、いつも小さく震えていても、私の体はここにしかない。