四角い部屋のblog

未熟なパラレルワーカーが病気になって、休んだり悩んだり試行する

花を飾る

なんでもない日の喜びを、この花にかえて。

 

迷いながら選んだ道に。

重なる偶然の出会いが、

まるで決まっていた事のように。

 

あの日、きっと私だけではないはずだと信じたこと。

いつかこの明日を健やかに懐かしむと信じたこと。

 

この喜びを、何気なく飾る花にかえて。

 


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ご近所

 

私が住んでいるのは、

都市開発真っ只中のエリアです。

 

秋頃から徐々に周辺の店が閉じ、古いマンションが空っぽになっていました。

とうとう年明けから本格的になり、

今はもう家から駅までの道も、目の前の建物も、立ち入り禁止で日夜作業が行われています。

 

年末あたりに一斉に、ネズミ駆除剤がまかれていて、

寒さなのか薬のせいなのか、私の鼻まで馬鹿みたいになっていました。

今は、粉塵が凄いので外に出ると涙と鼻水がでます。

 

駅までも迂回しなければ行けなくなったし、最寄りのコンビニもドラッグストアも閉店して、とても不便です。

 

それはそれとしても、

素敵な外観の建物や、思い入れのあるものがなくなっていきます。

花も買えないような街になってしまいました。

有名な雑貨屋さんも、古道具の取り扱いを辞めてしまいました。

都市開発とは直接関係がないけれど、

売り物の選別は、開発後の人の流れも含めて考えるところがあったのではないかな…と、推察しています。

違うかもしれないけれど。

 

私はこの街の生まれでもないし、

元々そこまで思い入れはないけれど、なんだかなぁ…と思ってしまう。

 

そんな私の街にも、ひとつ嬉しいお知らせがきました。

 

以前からゆるく仲良くさせて頂いてる作家さんが、お店を共同で持つことになったそうです。

私の家から歩いて3分。

嬉しいなぁ。

 

疲れている時、、というか気乗りしてないときに、連絡不精になる私が光速でお返事を返しました。(笑)

 

 

それから少し考えて…

やっぱり働き方をもう一度問われているような気持ちになりました。

 

うーん、、間違えたとは思わないけれど、

そこにベストを尽くすことが出来ているだろうか??

 

でもでも、

全て全力である必要も、仕事が心の喜びである必要も、無いと思っているんだけどなぁ。

 

うーん、、どっちに行きたかったんだっけ?

 

と、手に職をもつ人に会うと考えてしまう。

まぁ、いいか。

今はまだ焦ってなにか決めるときじゃなかろう。

よく感じとっておこう。

 

と、思い直してまたほそーい空の下地下鉄に潜り込むのです

経過観察

すっかり動けるようになったら、

私という人間は現金なもので

いそいそとまた働き始めたのです。

 

もう少し、ゆっくり歩き出せばいいものを、

やっぱりじっとしていられない性分なのか

新しい職場に通ったり

新しいコミュニティに入ってお店ごっこをしています。

継続してるものもありつつ。

 

色々な人に毎日笑顔をもらい、

あー!私ってこういう失敗するんだよな、やっぱり…とかやってます。

 

先生方や母親には心配されています。

けれど、仕方ないや、はじめちゃったんだもの。

それでこの1ヶ月は忙しく過ごして

久しぶりに、目覚まし時計をかける日々を過ごしていました。

 

目覚まし時計もかけず

寝たくなったら寝て、起きる気になったら起きて、

食べたいと思うものだけ食べて、気まぐれに花を飾って、

その日、その1週間に必要なものを考えてお買い物をして

ぼんやり景色を眺めるだけの毎日が

振り返れば、私のもう1つの幸せだったことは確かでした。

もう熱も下がってからは、本当に、生きてる心地がした。

 

思えば、、、きっと学生の頃から、

心のどこかであんな生活を望んでいた。

一生懸命働いてたと思う、ずっと。

 

お金がたんまりあったら何したい?って質問よくあるけど

真っ先に浮かぶのはいつも、庭のある家でニワトリ飼って、のんびり暮らすこと…。

実は、そんなつまらない平凡なこと。

 

児童労働を無くすとか、対局的な社会を変えるとか、頑張ってきたつもりだし今も大事だし、全然諦めてなんかないけど

戦い方はいつも不安で焦っていた。

こんな小さな私に戦えるのか?って。

そんな気持ちでやってても不健全だな…って思ってから、少し距離をとるようにしてしまってた。

あの時からたぶん、ちょっとやばかったんだと思う。

 

恐怖からの決断は、いい流れをうまないよってのは、本当にそうだよね。。。

 

それを思い出せたことも、休んでみて良かったなと思います。

ターシャ・テューダーが憧れだったんだ、私はずっと。

 

日々の、楽しさと忙しなさと、

そしてもう何も残すものはないという冬のような孤高の強さを持って生きたいと思っていた。

楽しい時間は、自分の手で創り出すもの。

他人の事情でわたしの時間が浪費されるなんて…と、思っていた。

 

それでも社会の中では、

それは単にわがままなのではないか…

時には苦しい想いもしてやっと分かることがあるんじゃないか…

誰かが負うことには変わりないのだから…

そうやって、ちょっとずつ自分を騙していたような気もする。

 

騙していたのかなぁ、とも思うけど

やっぱり余裕ができてすぐ動き始めるところを見れば、

人の世話を焼くのは私の性分なんだと感じて。

 

どちらの幸せも、楽しさも

上手く結びつけられるように、これからは…

と思いながら。

 

 

それで、病気のほうは、

引き続きやっぱり経過観察が必要ということになりました。

 

自分の感覚としては、たぶん倒れる前と同じくらいになってるから

「健康になった!」と言っていてもおかしくなかったと思う、過去の私なら。

 

けど、色々やってちゃんと改心もして、

元の状態が決して「健康」ということでもなかったと認めた今となっては

なんとも言い難い状態です。(笑)

いわゆる、西洋医学で為す術無しで、東洋医学や民間療法とかの方が効果でるフェーズにきたな、という感じなのだろうか。

 

熱も炎症も引いたあとも、

変わらず体が重たかったのが8・9月頃。

1日10時間寝たり、逆に全然寝れなかったり。

はじめて明け方に低血糖症なって覚醒したとき

「おお…これが私の生存本能…」と感心してみたり(笑)

 

この時期はまめにヒーリングサロン通ったり、

ミネラルや核酸のんだり、足湯したり、アロママッサージしたり、あれこれ家でやってました。

 

偶然色んな話が降ってきてワタワタ動き出したのが11月くらい。

 

忙しくなるとケアも手を抜くというか、気力持たないからできなくなるし、

無理は全然きかない。

やっぱりまだあの頃みたいには動けないし、肩も足もすぐ痛くなるや…って感じながらでした。

(それを踏まえて予定の入れ具合はだいぶ抑えているのですが…)

 

毎月の血液検査では、

数値が戻ったり下がったり。

12月の検査で、やっぱり戻りきらず基準外。

 

ホルモンは出そうと思って出すようなものでも無いので、あてにするのは結果だけ。

熱もなく何不自由ないと言っても、

じゃあこれで治りましたね!とはならないですね、やっぱり。(笑)

 

今後の方針としては、

私なりの無理のない生活を春まで引き続き。

(もう半年以上なので安静にとは流石に言われなくなった。)

3月に血液検査をもう1回。

体の具合をみつつMRIももう1回。

(造影剤の注射やだなぁ。。。)

総合判断で夏前までに検査入院を検討。

 

あっという間に1年経つなぁ。

 

ホルモン値は自分でコントロールできる範疇じゃないし、

まして元々体質として低めだった、ということも考えられるし…

徹底的に調べるなら1週間以上入院して、食事も管理された中で、毎日血液検査してみて、全体のバランスを把握してみないとなぁ…ということらしい。

 

甲状腺疾患も持っているし、膠原病手前くらいの症状出ちゃったし、低血糖症も前からなるし、下垂体に小さい出来物見つかっちゃったし

そりゃ本人がどう言おうと、

医師としてはまだ野放しにはまだできないですよね。(笑)

 

 

体重だけは順調に元に戻りました。

これからも沢山食べたいと思います。

終わります。

 

 

捉え方を変えるって

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「心に残っている一番古い景色はなんですか?」

そう聞かれたらどんな景色を思い浮かべるでしょうか。

 

小学校の運動会?家族旅行?ねこ?

自転車でこけてスローモーションでひっくり返った空と道?

はじめて行った海外の空港?

 

私が答えたのは、思い出したのは、

夕焼けの時間
昔住んでいたメゾネットの社宅
玄関マットの端で体育すわりをする女の子
たぶん4歳くらい
泣いてて 泣きつかれて顔をあげる
—まっすぐな白い光が、乱雑な靴箱の前を過ぎる
ドアののぞき穴から強い西日が差し込んで
舞う埃がキラキラと光の道をつくっていた
その道の先に、小さな虹の輪があった

 

そのあと、おそらく4歳の私がどうしたのかは覚えていないし
その光をどう感じていたのかも覚えていない

ただ、のぞき穴から小さな虹ができる光景だけ
覚えている。
そしてあの瞬間まで私は、小さくなって泣いてた

 

 

最近たくさん時間があったので、
昔のことを思い出すことも多かった。
私の幼少期は、映画になりそうなほど重たいエピソードが色々ある。

小さな頃から、一人で静かに泣くような子供だった。
私が喚くように泣くことは怪我した時くらいだけど、
言葉にできない気持ちが涙になって溢れることはたくさんあった。
教室でも、帰り道でも、布団の中でも。

 

 

今の私のようすを聞いて、
ホルモン値異常や副腎というキーワードから、
ストレス性の何かじゃないか?というご意見は多い。
私もそう思う。

都会から離れておいでよって、、私もそう思う。(笑)

 

けど、ストレスってなんだ?

 

私は、自分のやりたいように生活しているつもりだった

自分の時間を誰かに決められたくないから
なんの摂り得もないけどフリーになった

好きな時間に働いたし、好きな時間に食べた

好きな人とすごしたし

会いたい人には会っていたし、会いたくない人には会わなかった

合わないな、と感じることは辞めていった

自分の将来のためにやりたいと思うことを仕事にしてきた

 

でもその「~したい」って、本当だったかな?

私はなんでこれがしたいって思ってるんだろう。

本当かな?

 

 

「山の方の療養施設にしばらくはいろうかと思って」

と、いう私に
「いいことだと思う。けど、根本は治らないよ」

って、いう人がいました。

 

言われて気が付いたけど、
たぶん私もそう思っていたんだ。

だからすぐにはじめなかったんだと思う。

 

 

私は、子どもの時の感情をながく持ちすぎているらしい。

それはその通りだと、やっぱり私もそう思う。

子どもの権利条約、児童労働の廃止、ストリートチルドレン、虐待、障害者支援、養護施設、子どもの貧困、青少年の自殺

そんな深く暗い問題に向き合わなければと思ったのは
小学生の頃だった。
たまたま、テレビ番組でそういうことを知った。
それから私は、きっとすべての子供が平和な生活ができるようにと、
本当に毎日願っていた。

そしてそのころの私は、とても怒っていた。

なんで無くならないのか、
大人の勝手な言い分で、どうして?って
いつも私は怒りと悲しみを腹の底にためていた。

けれど、たぶん私が救いたかったのは、
テレビに映ったあの子たちじゃない。
私を救いたかった。
私が、救われたかった。

 

あとになって、そうか…と納得したけれど
いわゆる弱者支援などの業界では
よくある構図らしい。

みんな傷ついたから、人の痛みが分かるのだ。
だからもう二度と誰も…と思って頑張るけど
実情は、自分が救われなければ、人は救えない。

 

悲劇のヒロイン(風)の私は、
ただ精いっぱいの生意気で大人に会いに行き続けた。
そしていわゆる就活も途中で放って、
社会貢献ができる場所で働きはじめることになった。

それでも、私にできたことは本当に小さかった。

そのことについても、やっぱり自分が悔しくて抱え込んだ。
きっとあの時の私の精一杯だった。
今思えばやりようはもっとあったと思うけど、
そんなことを誰も責めたい訳じゃないって、
思えるまでどのくらいかかるだろう。

“人の気持ち”がたくさん集まる世界だった
人の気持ちに善や悪を簡単にジャッジできないと
身をもって学んだ。

知れば知るほど、関わる人が増えるほど
社会は多様で複雑で
いくら大きな数字を数えられるようになっても、
0と0.1の判別ができないまますすむことが怖いと思った。

だけどやっぱり、判別なんていらないよって社会もあった。

 

あの小さな虹の輪に、一体いくつの色があるだろう。

その虹をつくるために、
どれほどの偶然が重なっていたのだろう。

 

私が本当につくりたいのは・・・

 

 

サボテンのぶーちゃん

 

サボテンのぶーちゃんは、

我が家のトイレの棚に置いていました。

 

去年の秋頃に買ったとき、確か丸々としてチクチクとしていて

ちょっとブサイクで、ぶーちゃんという名前にしました

 

水をあげる頻度は注意書きのようにしていた、つもりだけど

たぶんずっと窓のないトイレに置いていたので日光不足だったんだと思う。

 

年が明けて春から体調を崩して

水遣りもまばらになってしまって、

私は自分に精一杯で、ぶーちゃんの世話なんて何も出来ていなかった。。。

 

夜中に起きて気が向いた時だけじゃばーとお水をあげてるだけで、

成長度合いのことや休眠期のことまで考えていなかった。

 

この間から体調が戻ってきた私が、

異変に気がついた頃にはもう全然手遅れでした。

ごめん。

 

特に健康面を表すというトイレの片隅で、

きっとずっと、悪い気がこれ以上増えまいと浄化しようとしてくれていたのかもしれないし、

私にも気づいてください!って呼んでたかもしれない…。

 

気がついたら、

根元はぷよぷよして先の方がぎゅっと縮んで

たぶん一回り小さくなっていた。

いつからだろう

思い返せば、ずっと前から、小さくなっていたような気がする

 

もっと早くに気がついてあげなくてごめん。

 

植え替えてあげようと思って揃えた土も新しい鉢も

もうぶーちゃんには手遅れだった。

 

サボテンは我慢強くて

なかなか異変を表さない。

それはなんだか、慢性疲労を起こした私の腎臓のような。

 

やばい!と思って、

気になっていたけどずっと足を踏み入れてなかった小さな園芸屋さんに入ってみたんです。

 

とっても可愛い植物が沢山あって、

しかも値段がそこそこくらいで程よい。

土や鉢は最低限の取り揃えなんだけれど、

渋谷の街の小さなお店だし、これで十分なのだろうと思う。

土は重たいし、通販すればいいもんね。

 

相談出来る先ができた。

それがどんなに有難いかは、この数ヶ月私が身をもって知ったことだった。

 

花や木が枯れるということに、

あまり大きな意味を持たせてもなぁ…とは思っているけれど、

このことはこれまでの私の行いの悪さを示す出来事のようで、心の中に残った。

 

園芸という趣味は

その植物にとって好ましい環境かどうかよりも「育てたい」という人間のエゴによるもの

その中でも、どうやってより植物に良い環境をつくってあげられるかが楽しさの1つだと思う。

その園芸が好きだ、というなら、

そして今私にはこの環境しかないなら、

そこでいかに美しく咲かせるかを本来の意味で追求するしかない。

 

ちゃんと、次はちゃんと長生き出来るように育ててあげよう。

 

それから、私は一体何なら、ちゃんと向き合って育て続けられるのだろう。

目に見えないものが信じられるかって話と医療の使い分け

目に見えないものも、私は信じているし
信じられないものもある。

科学とか宇宙とかは大好きで、
昔からよく一般読者向けの科学本を読んだり、
SFアニメを見たりしていた。

数字の計算が苦手だったから、理数系にはすすめないと思っていたけど
学生の頃は「平和を生むのは技術か文化か、もしくは宗教なのか」
ということを漠然と思うような人だった。

 

目に見えないもの

計れないもの

触れられないもの

それでもそこにあるものが、あるような気がしているし
反対のことだってあると思う

 

どうして遠い宇宙から星の光が届くのだろうと
最初に考えた人は偉大だ。

星はもうそこにないのに、私たちにはあるように見える。

 

私のカラダが変なことになってしばらく
きちんと血液検査の結果もそれなりの数値をたたきだした。

ただ、どうしてそうなのか、論理的にむすびつかない点があるようだった。
予想される症状がなく、予想しない症状が消えなかった。(笑)

そして幾度目かの血液検査で、あっけなく正常値に戻った。

結果的には良いことなんだけど

”きっとこうだろう”という先生の予想を裏切ったことで

なぞは更に深まってしまった。

 

 

血液検査を繰り返す間、
東洋医療の診療所や鍼灸も通ったし
いわゆる民間療法のセラピーにも通っていた。

セラピーは、先生のカウンセリングやオーラソーマをとおして
今の自分の問題や、そこから将来どうなりたいか
過去からひきずっているもの、過去から影響を受けているもの
現実と理想と、霊性の部分と剥離しているのは何か
そんなことをお話したあと、
全身のオイルマッサージでバランスを整える
エネルギーが足りないところに補充してもらう
詰まっているところは流して、
あるべき場所に臓器や骨が収まるようにしてもらう
それから、余計なエネルギーに侵食されないように守ってもらう

こういうセラピーに抵抗がある人もいる
誤解を恐れずに、このセラピーにはいわゆるスピリチュアルな要素が含まれている

西洋医療の先生に、こういうセラピーの説明をするとき
どうしたもんかな?と、思う。

やっぱり民間療法だから、という姿勢でしか取り合ってもらえないのが常。

でも西洋医療的に見解がでづらい場合には、
東洋医療でも民間療法でも、目に見えなくても、
患者側が信頼できる先生にあたっていくのがいいと思う。

 
私がうけたセラピーも、
単にマッサージによって血行がよくなったという話でしょ?
といわれてしまうかもしれないけれど
私は、それ以上の技術をこの先生は持っていると、思っているし

技術や経験という部分を差し引いても、
わたしのカラダ、心、状況、トータルで向き合ってくれるというのが
何よりも頼りにしたいと思う部分だった。
施術のあとはびっくりするくらい足がよく動く。
今まで私の足はどうなってたんだ?ってくらい。


昔から当たり前だと思っていた不調が、
実は当たり前じゃなく、れっきとした予兆であることや
気を付けて対処しなければいけないことであるとは
総合病院の専門医はなかなか気づいて話してくれない。

高熱はアレルギー科、紅斑は皮膚科、ホルモンは内分泌科・・・
その判断自体は間違っていない(だろう)し、
より高次の医療(手術や強い薬の投薬、リハビリなど)
が必要な状態に私がなっていたかもしれないから、
そいう可能性があるか無いかという検査ももちろん大事なこと。

なかなか結果がでないなかでも、
色々検討して検査をしてくれて
紹介状を送ってくれた総合病院の先生方にも本当に感謝している。

 

ただ、今回のわたしの場合、
”うまく説明できないが確かによくなっている”
という状況をつくってくれたのは
セラピーの先生や東洋医療の先生方なのである。
もしくは私自身だけど、そういう話するとスピリチュアル色強くなるからここでは書かない。(笑)
総合病院からは紅斑が消えてからは薬一つでてなくて、安静にと言われる日々だった。

西洋医療側の先生が「まぁ、絶対ってことでもないですよ。」と言っていたピルの服用をやめてからの方が、あきらかに症状が激しくなっていない。
セラピーや東洋の先生たちからは
「ピルと鎮痛剤はできるだけ早い段階でやめなさい」としつこく言われてた。(笑)

セラピーや東洋の先生たちからすれば
こうすればよくなる、というのがある程度見えていたから
”確かによくなっている”のは期待したとおり(の行動を私が続けられただけ)
だそうだ。

けれど、私(や、先生たち)が言いたいのは、
西洋医療ばかりじゃダメなのよってことじゃなくて、
選択肢って自分で増やせると思うよってこと。

鍼灸の先生やセラピーの先生にとっても、
血液検査の数値は指針の一つとして大事で、
事実としてカラダが今どうなっているか、という部分を含めた
鍼(ツボ治療)であり、
オイルマッサージになっていく訳だから
検査をちゃんとすることはどういう医療を選択するかに限らず、
突き当たるところまではちゃんと調べた方がいいと思っている。

同じ西洋医療の中でも、おそれずに紹介状をだしてもらって、
他の病院の診察を受けたりしてみていいと思う。
紹介状だしてくださいってお願いして、しぶるような先生は、
むしろあまり優しくないと思う。


(おそらく)東洋医療の先生は脈や舌でカラダの状態が分かるし
ナチュラルセラピーの先生もそれこそスピな力も含め、色々な分野の診断方法をミックスしてカラダの状態を総合的に診ている
反対に鍼灸や民間療法の先生は、自分たちで血液検査ができないので
数値をみて判断する経験や、仮説をたてて検査をして結果を確認する
というようなことは、総合病院や西洋医療の先生が得意だと思う。

そのうえで、自分がどの先生を信じるか、という話になるし
医療機関同士であれば紹介状で情報連携してもらって、
その結果どこの先生や病院の治療にゆだねるのが安心かを自分で決めていいと思う

 

otoharu.com

オトハルでやっているとおり、
東洋医療と西洋医療では得意とする医療の範囲が違う。

そういえばなんか調子悪いけど、健康診断は大丈夫なんだよなぁ…
とか、病院で診断でないようなことも
一度、東洋医療とか民間療法とか試してみてはどうだろう。


私が知っていること、経験してきたこと
役に立つか分からないけれど、
私からも色々とご紹介できたらと思う。

 

 

造影剤注射してMRIを撮ってきましたの結果を

すっかり東京も涼しくなってしまって

北海道は雪も降る異常事態 

 

私もだいぶん元気で、
元気だから更新をなかなかしなくなったという状態です。

 

mizuumix.hatenablog.com

 

フェイスブックでこのブログの存在を明かしてから
色々な人に心配・お見舞いのご連絡をいただいたり

風のうわさで聞きましたけど…

と、声をかけていただきました。

 

とっても有難く、元気をもらいました。

もう基本的には大丈夫です。
病み上がりくらいの体力で、ほそぼそと生きてます。


今朝、洗面室のサボテンが萎れてしまっているのを
やっと見つけてあげることができて、
ほったらかしてごめんね…とお詫びをしながら
日向ぼっこをさせました。
どうか元気になってくれますように。

 

こういうネガティブエントリーを明らかにするころには
だいぶ私の気持ちは前を向いていて、
”回復してきたから話せる”類のことが、いつも私には多いんだなって
そんなことも改めて感じました。

 

 

さて、造影剤を注射してMRIを撮った結果は、
なんだかぼやっとしていて(笑)

可もなく不可もなく、こちらも経過観察がしばらく必要ということでした。

具体的には、懸案である副腎皮質ホルモンの分泌に関わる
脳下垂体に小さな小さなおできがあるそうです。

ただ、それがどの程度症状に影響していたのかが読めない

「じゃ、なんで調べたん?」って思いますよね。

実はMRIを撮った頃の採血の結果は、基本的に正常値だったんです。

それでも症状が改善されないことと、
治療方針が確立できていないことから、
手術が必要なほどのケースを除外するためにMRIやCTを撮りました。

もし、この時点で大きな腺腫や血液検査の異常があれば、
検査入院をするという前提の検査でした。

結果、緊急を要する処置がいらないということで
検査入院は見送り、要経過観察となりました。

 

あと腎のCTは、右側だけ一回り大きいと言われました。
これも、もともと個体差があった場合もあるし、
何らかで炎症がある場合もあるが、
血液検査の結果炎症反応が下がっているので神経質になるようなことじゃない、そうです。

 

結局、よく分からないなぁ。です。(笑)

 

とはいえ、分からないまま放置ということも先生はできないので
今月も血液検査に通っております。
早朝に採血したり、午後に採血したり。
来週は、
ホルモン剤を前日に飲んだ状態で、朝採血してホルモン値変動をみる
みたいな検査をします。

こんな感じで、手を変え品を変え、無理がでないペースで繰り返しです。

本来は、こういったことを入院して
きちっと管理体制がある中で短期間集中して行う予定だったのですが
結果が異状なしなので「入院しなさい」とは言えず…
できることをできる範囲でやる、みたいなことですかね。

 

恐らく、来月からは血液検査の頻度も月一くらいになって
そして完了するんじゃないかな~と思います。

 

ただ、いわゆる西洋医療のOKと東洋医療のOKは違う
というのはあると思うので、
色々ときっと長くかかるなぁとは思っています。

 

自然治癒ってどんなことしてたの?
東洋医も通ってるの?
というようなことも別のエントリーに書きます。